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1型糖尿病になりました。毎月かかる診察代・インスリン代・針代などが高いことに困っています。
原因不明で、若くしてかかる病気で、一生治らないのに難病でもなく、障害者にもなりません。
子供の場合は医療費がかからないみたいですが、30代での発症なので自腹です。周りにも言いにくく、メンタルも傷つき、仕事も辞めました。

仕方がなく毎月高い医療費を支払っていますが、生活が厳しいです。病気を受け入れてくれる仕事先を探し働くしかないと思います。
まわりの家族にも協力してもらい、支えてもらいます。食事も制限され、毎日注射を何回も打ち、それでも治らない病気なので、メンタルが傷つきますが、インスリンさえ打てば生きられる、普通の人と同じく動ける、動けるなら何でもできる、と自分を励ましながら生きて行きたいと思います。
だめになるその日まで、全力でがんばりたいです。

辛いと思います。あまり知られていない病気で、名前だけ聞くと、何食べて生きてたの?と思われるかもしれません。非喫煙者なのに肺がんになった友人も同じような質問を受けるそうです。でも大切な人達は理解してくれます。がんばりましょう。

5、6年前から激しい腹痛が突発的に現れるようになりました。しばらくは腹痛だと軽く考えていたのですが徐々に痛み強く継続的に起こるようになったため、近所の胃腸科を訪れることにしたのです。

検査の結果、恐らくは過敏性腸炎だろうとの診断で痛みを抑える作用のある薬と整腸剤を貰ってきました。

過敏性腸炎は完治することが難しいようで、ストレスが発症の大きな要因になるようです。勤務中は一日に何度もトイレに駆け込んでいる状態で、まともに仕事にならない日もありました。

仕事のストレスに加えて周囲に迷惑を掛けてしまっているという思いで症状は悪化していき、当時は心身ともに疲弊しきっていたのでした。ホルミシス効果とかなんか役立つものがないかといろいろ調べていました。

私は現在でも腹痛に悩まされています。朝、目を覚ましてから布団に入るまでの間は油断出来ないため、せめて電車の車内では落ち着いていて欲しいと願う日々を送っています。

ただ、以前に比べれば症状の改善はしています。接客業で常に緊張を強いられる前職を退職して、今は全く違う仕事をしています。

転職してからは大きなプレッシャーを感じることも少なくなり、日課となっていたトイレと職場の往復も、ほとんどなくなりました。
私のケースでは転職が症状の緩和に影響したようです。

過敏性腸炎とは長い付き合いになるため、症状が原因でよりストレスが掛かるという悪循環に陥りやすい病気です。
焦らずにストレスになる要因を生活から出来る範囲で排除していくことが、症状の改善につながるのではないかと考えています。

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高校生の時に目の付近にソフトボールをぶつけてしまって一時的に炎症が見られましたし、何より少しずつ片目の視力が落ちている状況になったのですぐに学校から家に帰宅する事にしたのです。帰宅して、眼科に行く事にしましたけど眼科は初めてで目の検査などを細かく行いましたし、目ということもあって1つ1つの検査を受ける時に不安を感じながら検査を受けたのです。ちょっと目の部分がちくっとする検査もあったりとすべてが初めての経験だったのでちょっと落ち着く事も出来なかったですし、うまく自分の感情をコントールするのも大変でした。ただ、無事に検査が終わって治療もうまくいったので数週間後にはすっかりと目の炎症もなくなり、視力も戻ったので良かったです。目の病気になったりすると、さらに詳しい検査をしたりさまざまな治療を受けると思うので、目の怪我や病気にならないように注意しなければいけないと思いました。その怪我依頼は眼科に行く事はないですし、目の怪我や病気の意識が強くなって良かったです。

水疱瘡はほとんどの人が子供の頃に経験する病気と言われていますが、私は17歳の時に水疱瘡にかかりました。
最初は微熱が出て、口の端にやや大きめのニキビみたいな発疹ができました。
数日後、朝起きたら顔中に発疹ができていて、母親に言われるまま近くの診療所で診てもらったら、水疱瘡と言われて驚きました。

自宅で療養していたのですが、熱は上がる一方で発疹も口の中や頭皮など体中にできてしまい、慌てて大きな病院で診てもらったら、診察したその日に入院させられました。
先生曰く、意識が朦朧としていて、肺炎を起こしかけている危険な状態だったそうです。

その日に2時間ほど点滴を受けて血液を採取し、翌日にトイレの回数を聞かれて、一度も行ってないと伝えたら、1日中点滴に繋がれる羽目になりました。
脱水症状を起こしてたみたいです。

数日間、点滴に繋がれっぱなしでした。
病室も人のいない病棟で、6人部屋に隔離されて一人だけだったので寂しいやら怖いやらで、なかなか寝付けなかったのを覚えています。

10日間ほどで退院しましたが、あのまま放っといたらどうなっていたかと思うと、とても怖くなります。
病気もツラかったですけど、入院の経験も本当にツラかったので二度と水疱瘡にはかかりたくないと思いました。

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私の父が咳が半年以上続き病院では風邪でしょうと言われてたのに最終的に検査したら肺癌の末期でした。父は母と離婚してましたが内縁の妻がいましたのでその方がずっと看病してました。父は子供にはこんなすがたを見せたくないとお見舞いにもあまり来てほしくないと言われてました。内縁の妻がすごく看てくださり父にずっとつきっきりの生活でした。1番家族がどうするか父がどうしたいかで話し合うのがなかなか一致せず大変でした。

父は内縁の妻がいましたので父も子供にはこんな姿を見せたくない。迷惑をかけたくないとの事でお付き合いされてた方から父の意見や希望は全部その方から聞いたりしてました。私達と話すのはメールでのやり取りでしたが、今思えば父が姿を見せたくないと言ってたけど今しかできない事をしてあげたかったです。内縁の妻のかたには本当感謝しきれずきっと苦労もたくさんあったと思いますが私達には苦労をあまりかけさせたくないの思いで父と二人三脚で闘病生活をしてたと思います。

お金の面でも一言も言わず最後まで父らしい人生だったと思います。

家族で最後協力できなかった事を悔やんでます。父が姿を見せたくないと言ってましたが、今しかしてあげれない事をやってあげたかったです。たくさん話をしてたくさん話を聞いてあげてください。

私の祖母が五年前にがんのセカンドオピニオンを受け子宮がんと宣告されました。それ以降治療を始めましたが、子宮がんが消えても別のところへ転移してしまいました。

そして、再び治療、また転移の繰り返し。その都度、抗がん剤治療にするか放射線治療をするかの選択を迫られました。

各治療のメリット、デメリットはもちろんありますが、言うことが医師によって違ったようで、どの治療法が良いのか決断するのに毎回苦労しました。

決断する当人たちは、様々な選択肢と情報を提示され混乱状態になっています。それを見守る家族として、とにかく話を聞いてあげることが一番落ち着く様子でした。

またアドバイスする上で、少しでも癌に対する知識を入れておくべきです。例えば、放射線治療は一度あてた患部に再びあてることはできるのかなど、治療にあたってのリスクは知っておくと良いと思います。そして、最後にこの治療法がいいと強要しないでください。話を聞いてあげ、落ち着かせましょう。

治療法を選択するということは、残りの余生をどのように使うかという選択でもあります。治療法によって、使う時間が違います。自分の意見を押し付けず、暖かく見守ることが大事です。そして、選択した治療法でがんばる家族を生活面や精神面で支えてあげてください。

私の母は本当に元気な人で、若干血圧が高いぐらいで普段から寝込むことがないような母でした。ある日、「私、痔かもしれない」と言ってきたのできいてみると、便に血が混じってると話してくれました。

本当に自分は痔だと思い込んでいたので「病院に行くの恥ずかしい、痛くないから放っておく」と言ってきかない母に、「痔やったら薬で治るかも。次血圧の薬もらいに行くときに先生に言ってみたら?」と言ってみました。血圧の薬をもらいに行く病院の先生が男性の先生なので、痔かもしれないと話すのにも抵抗があったみたいですが、話してみたらすぐに大きい総合病院を紹介されたそうです。

一人が不安そうだったので、それ以降は私が仕事を休んで検査や手術などに付き添いました。結果は初期の大腸がんでした。普段がめちゃくちゃ元気な母なので、え?ほんとに?というのが母と私の思ったことでした。わがまま言わない我慢強い母でしたが、唯一希望を言ったのは「診察も手術も女医さんがいい」ということでした。希望通り、女性の先生に診察も手術もしてもらえました。

無事に手術も終わりました。今のところ再発もなく、また元気な母になりました。

それ以来私も「普段病院に行かないタイプの人は、ちょっと変かもと思った程度で思い切って病院に行った方がいい」と人にすすめるようになり、自分も気をつけるようになりました。

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自分が病気になるのも嫌ですけど、家族や友達が病気になるのも嫌ですよね。私は先日、メッセージをもらった友達に、そのついでとして自分が乳がんになったことについての報告をしました。そしたら、問題が発生しました。

その子は自分が抱えている問題があることから、相手のことを気にかけてものすごい長文を送り、ものすごく気を遣う子でした。それを思い出したころには時すでに遅し。「パソコンで返事を書くから、長くなるから寝てていいよ!」とあったので、そこまでしないで!と送ると、「ダメなの?読んでくれるだけでいいから。お節介と思われてもいい」と、決して引きませんでした。

その子なりの心配の仕方だと理解しています。けれど、私はこれは、本人が辞めてということを強要しているだけに過ぎないと思いました。病気であれば、あまり触れないといういのも一つのコミュニケーションであり、話聞こうか?とか、相手が同意した時に気にかけてあげられたらなと思います。

健康な時には気づかなかった、今ある普通の毎日がどんなに幸せであるかということ。

家族と何気ない話をしながら食卓を囲むことの幸せ。
大好きな愛犬といつもの河原を散歩する幸せ。
ベランダから見える夕日の美しさ。
自転車をこぎながら感じる心地よい風。
家庭菜園で採れたみずみずしい野菜の美味しさ。
そんな特別でもなんでもない日常。
日々私たちは、日常のそんなたくさんの幸せに囲まれて生活しているのです。
しかし健康な時には、そんなこと気づきもしないでしょう。
あまりにも当たり前すぎて、気づけないですよね。
病気になって初めて、今ある当たり前がいかに当たり前でなかったと言うことに気付くのです。
当たり前のように夜寝ることができる。
体のどこも痛くない。
点滴や管につながれていない。
たくさんのお薬を飲むこともない。
自分の足でトイレに行ける。
自分でご飯が食べられる。
それは、なんて幸せなことなんでしょう。
感謝の気持ちを、決して忘れないようにしなければなりません。
当たり前が当たり前でなくなることもある、と言うことを忘れてはいけません。

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